2017-10

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

阪神淡路大震災から20年


明日1月17日は、阪神淡路大震災が発生した日です。

あれから20年経ちました。
神戸生まれ神戸育ち、当時2歳だった私も被災しました。

以下、wikiさんより抜粋↓
「特に震源に近い神戸市市街地(東灘区・灘区・中央区(三宮・元町・ポートアイランドなど)・兵庫区・長田区・須磨区)の被害は甚大で」


私はこのど真ん中に住んでいました。
実家も住めなくなって、1年半ほど祖父の家に家族全員住まわせてもらっていたそうです。
震災当日、家に帰ることが出来ず、公園で誰かが炊いてくれた焚き火に、母と当たっていたのはなんとなく覚えています。


小学3年生のとき、災害時に避難できる広いスペースの公園のデザインをしました。
小学5年生の時の震災学習で、家から徒歩1分の所が全焼している写真を見ました。
小学6年生のとき、通学路が広くなりました。震災のとき、道が狭くて消防車が通れず、燃えていく街を見ていることしか出来なかったそうです。
家の近くの公園の半分は、小学校6年生まで仮設住宅で埋まっていました。
私のおばあちゃんは仮設住宅から出る前に亡くなってしまいました。
中学校に入って、小学3年生のときに設計した公園ができました。
実家近くの石の階段は、未だに断層のようにズレています。
鎮魂のためのルミナリエはまだ続いています。
(恋人のためのデートスポットでも、クリスマスのイルミネーションでもありません。)

あんまり悲惨なこと並べても仕方ないのかもしれませんが、人間忘れていくいきものなので...


1995年1月17日に被災し、そして1995年3月12日に弟が生まれました。
焼け野原の真ん中に立っている病院で生まれたそうです。
震災当日、赤穂温泉に旅行に行っていた私たち岩崎家。
もしも家にいたなら、母のベッドの上に倒れていた箪笥の下敷きになって、弟はおろか母も今どうなっているのかわかりません。

そんな弟も、今年無事に成人式を迎えました。

正直あんまり覚えてないし、福岡に来て震災特集を観ることも無くなって、
ちょっとずつ薄れていく記憶ですが、
せめてこの日は想いをはせつつ、2ヶ月ガスと電気が止まっていた中、
幼い私と弟を守ってくれた家族に感謝したいと思います。

-------------------

(大規模震災に対するマニュアルが無かったあの頃。
3.11は、この阪神淡路大震災の反省から生まれた様々な対策がとられたようです。
死者 : 6,434名、行方不明者 : 3名、負傷者 : 43,792名
このときに、そんな対策があったらこの数字はどう変わっていたのでしょうか。
...なんて考えても仕方ないのですが。
もう二度と悲惨な災害が起こりませんように。)
スポンサーサイト

● COMMENT FORM ●


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック:

http://citronrabbit.blog.fc2.com/tb.php/88-f96da7fb
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

小劇場演劇照明あるある «  | BLOG TOP |  » 【観劇】鎖骨「decorte」

プロフィール

いわさきゆき

Author:いわさきゆき
観劇レポとか趣味とか本の記録とか

最新記事

最新コメント

月別アーカイブ

カテゴリ

日常 (25)
FBログ (15)
観劇 (38)
演劇 (39)
読書 (6)
現場 (6)
勉強 (2)

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

QRコード

QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。